ひとつお尋ねいたします。
大学ではレポートやら、論文やらいうものを提出するそうですが、ほんとうに皆さん書けちゃうのですか?
小中高では、レポートの書き方とやらを教わりません。書けといわれた記憶はありますが、提出したものは、ノートをまとめた程度のものだったと思います。また、感想文でも作文でもありません。
なので、問題提起 調査・考察 結論 という手順を踏んだ文章など、今まで生きてきて、書いたことがありません。
もしかして、自由研究をおおがかりにしたようなものを、ある文章の形式にのっとって書き進めていくのでしょうか?
http://m.iwa.hokkyodai.ac.jp/rs/situation/2002/1011/index_j.html
ありゃりゃ、どうやらだめっぽいな。
でも本を読まないことと、世の中に関心がないことは、ちがうけどね。
民族紛争と聞いていじめしか思い浮かばないオツムの人が
なぜ大学に行こうとするのだか?
新聞読んだら、
なおさらお金がいちばんと思うんじゃね?
大学ではレポートやら、論文やらいうものを提出するそうですが、ほんとうに皆さん書けちゃうのですか?
小中高では、レポートの書き方とやらを教わりません。書けといわれた記憶はありますが、提出したものは、ノートをまとめた程度のものだったと思います。また、感想文でも作文でもありません。
なので、問題提起 調査・考察 結論 という手順を踏んだ文章など、今まで生きてきて、書いたことがありません。
もしかして、自由研究をおおがかりにしたようなものを、ある文章の形式にのっとって書き進めていくのでしょうか?
http://m.iwa.hokkyodai.ac.jp/rs/situation/2002/1011/index_j.html
ありゃりゃ、どうやらだめっぽいな。
でも本を読まないことと、世の中に関心がないことは、ちがうけどね。
民族紛争と聞いていじめしか思い浮かばないオツムの人が
なぜ大学に行こうとするのだか?
新聞読んだら、
なおさらお金がいちばんと思うんじゃね?
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コメント
まあ色々ありますが
私の家内のお父さんは、戦中派の人ですが貧しい漁村の出で、小学校すらまともに出ていない人ですが、一念発起して勉強して、公務員になって本を読み、娘二人を大学に行かせた人です。でも多分戦前の家庭教育はどんなに貧しくてもその基礎だけは家庭で行っていたから出来た話で、今みたいな家庭環境や社会環境ではなかなか望めない話になっているのかもしれませんね。
>「言葉には考え方や思いが宿っている」「文字には意思がこもっている」
ええっ!それって親が教えることだったんですか!
ショック!!
中学出て上京した両親は論文の書き方どころか、言葉に魂うんぬんという概念を人から教わってないと思います、ましてや大学進学率の低い昔の日本です。
親が本読む姿を見てないと、きっと子供も読みませんね。
学校や家庭はさておき、表現のやり方で伝達するのがあたりまえな日本語は、当分変わらないんだろなあという気がします。
ええっ!それって親が教えることだったんですか!
ショック!!
中学出て上京した両親は論文の書き方どころか、言葉に魂うんぬんという概念を人から教わってないと思います、ましてや大学進学率の低い昔の日本です。
親が本読む姿を見てないと、きっと子供も読みませんね。
学校や家庭はさておき、表現のやり方で伝達するのがあたりまえな日本語は、当分変わらないんだろなあという気がします。
学校教育の問題だけじゃない
この間のNHKの「クローズアップ現代」でもそんなこと言ってました。それは「企業教育」の話でしたが。企業教育まで行くと問題がかなり深刻なようで、工場で事故まで起こしてしまうので大問題になっているそうです。
私は個人的には「学校教育」よりは「家庭教育」に問題があるように思っています。「物事をちゃんと筋道を立てて考えなさい」とか「自分の言葉で考え直して組み立てなおしなさい」とか言うこととかいうアドバイスをする以前に「言葉には考え方や重いが宿っている」「文字には意思がこもっている」という非常に情緒的なことは「学校」では教えられないですもの。それはやっぱり親や子供に個人的に愛情を持った人がその子の個性にあった形でしなきゃ出来ないもん。
私は少なくとも自分の子供達には字が読めない頃には絵本を読んでやり、本を読むことを覚えさせ、小学校高学年になったら毎週ノートに文章を書かせ必ず添削するということを続けました。そして最後の自由研究で、本当の論文形式でレポートをまとめさせました。当事子供達は泣きながらやってました(くそーこの親父って思われてたでしょうけど)でもそうしてやら無いと中学以上の学校ではそんなこと教えてくれないのは自分でも知っていたしそれについては今は子供達は感謝してくれているようです。実は自分もそれに近いことを親からされて育ったからなのですけど…。
私は個人的には「学校教育」よりは「家庭教育」に問題があるように思っています。「物事をちゃんと筋道を立てて考えなさい」とか「自分の言葉で考え直して組み立てなおしなさい」とか言うこととかいうアドバイスをする以前に「言葉には考え方や重いが宿っている」「文字には意思がこもっている」という非常に情緒的なことは「学校」では教えられないですもの。それはやっぱり親や子供に個人的に愛情を持った人がその子の個性にあった形でしなきゃ出来ないもん。
私は少なくとも自分の子供達には字が読めない頃には絵本を読んでやり、本を読むことを覚えさせ、小学校高学年になったら毎週ノートに文章を書かせ必ず添削するということを続けました。そして最後の自由研究で、本当の論文形式でレポートをまとめさせました。当事子供達は泣きながらやってました(くそーこの親父って思われてたでしょうけど)でもそうしてやら無いと中学以上の学校ではそんなこと教えてくれないのは自分でも知っていたしそれについては今は子供達は感謝してくれているようです。実は自分もそれに近いことを親からされて育ったからなのですけど…。
ええ、なぜ気になったか理由を書くことは、私以外の人たちのプライバシーに関わるので、省略いたしますが、
明確に物事を言うことを好まない国の学校で、本当に論理的な、明確な文章など書かせているのか?書けるのか?と思ったもので(・ε・)ゞ
また、どうやって文章の書き方を教えるのだろう?とも思いました。
明確に物事を言うことを好まない国の学校で、本当に論理的な、明確な文章など書かせているのか?書けるのか?と思ったもので(・ε・)ゞ
また、どうやって文章の書き方を教えるのだろう?とも思いました。
一応」私大卒なんで(笑い)
大学生が自由研究以上の論文をみんなが書いているとはいえないだろうね。
少なくとも私は某大学で卒業論文なるのもが必修単位だったので書きました。テーマの説明実験方法の説明(理科系でしたもので)、それに対しての考察、結論とまあ一応普通の論文形式にのっとったものを書きましたよ。教授にはめちゃくちゃ不評で、論文のとしては失格といわれましたが、優をくれましたけどね。
でも、この書き方を学ぶことによって、物事をどう筋道を立て人に伝えたらいいのか大学生が自由研究以上の論文をみんなが書いているとはいえないだろうねというひとつのパターンを教えてもらったと思っています。
最初は論文や、レポートをかけなくても最後には書けるようになって卒業することが求められていると思います。
結論。大学生はまともにレポートや論文を書けません。それを学んでいるんですから。
(・ε・)ヾ さんなんでそんなことが急に気になったの?」
少なくとも私は某大学で卒業論文なるのもが必修単位だったので書きました。テーマの説明実験方法の説明(理科系でしたもので)、それに対しての考察、結論とまあ一応普通の論文形式にのっとったものを書きましたよ。教授にはめちゃくちゃ不評で、論文のとしては失格といわれましたが、優をくれましたけどね。
でも、この書き方を学ぶことによって、物事をどう筋道を立て人に伝えたらいいのか大学生が自由研究以上の論文をみんなが書いているとはいえないだろうねというひとつのパターンを教えてもらったと思っています。
最初は論文や、レポートをかけなくても最後には書けるようになって卒業することが求められていると思います。
結論。大学生はまともにレポートや論文を書けません。それを学んでいるんですから。
(・ε・)ヾ さんなんでそんなことが急に気になったの?」